「頒布」という訳語を使用するのは何故か?

オープンソースに限らずソフトウェア業界においては、distributeもしくはdistributionという単語を使用することが多い。そして、その単語への日本語訳としては「配布」を割り当てることが多いだろう。しかしながら、オープンソースの定義やオープンソース・ライセンスの日本語訳等では基本的にdistributeの訳として「頒布」という語が使用されている。これは何故だろうか?

(本稿は「オープンソースとは何か? Open Source Definition逐条解説書」の付録の一つとして収録されている文書である。)

はいふ【配布】
[名](スル)配って広く行き渡らせること。「駅前でちらしを―する」
はんぷ【頒布】
[名](スル)品物や資料などを、広く配ること。「希望者に無料で―する」「銘酒の―会」

デジタル大辞泉を引用すると配布と頒布は上記のような意味となる。違いがあるようには見えるが、どちらも「何かを広く配って行き渡らせる」という意味で違いはない。では何が違うのか? 実は「配布」は基本的に無償であり、「頒布」は無償もしくは有償のどちらの場合もあり得るという違いがある。上記の用例でのチラシは無償であり、銘酒頒布会というのは有償の即売会のことを意味するのである。

自明ではあるがオープンソースの定義や全てのオープンソース・ライセンスにおいては無償か有償かという点は問わない。そうであるにも関わらず、オープンソース関連の文脈においてdistributeを「配布」と訳すと、まるで「ソフトウェアを広く配って行き渡らせる」行為が無償であることに限定する印象を与えることになる。だから、「頒布」という訳語が使用されるのである。我々の自由なソフトウェアのコミュニティは、無償に限定されるように捉えられるということを一貫して否定してきたわけでもあり、正しい理念を伝達していくためには誤解されにくい言葉を使用する方が望ましい。

冒頭の疑問についてはこの回答で終わるはずなのだが、この議論は忘れられた頃に繰り返される話の一つであり、私は認識していなかったが数年前にもそれなりに大きな論争があったらしい。それらの論争において「配布」で良いとする主張する側の論拠は基本的にパターン化されているので、下記で反証していく。

「頒布」という言葉が難しすぎる:

確かに「頒布」という言葉は日常的に使うことは少なく、やや難解な日本語に該当するのだろう。ただ、それは「配布」よりも難しいというだけのことであり、Googleで検索すれば一般的に販売会のような意味で頒布会という言葉が一般的に使用されている事実に気が付くだろう。また、同人誌の界隈では太古の昔から販売会のことを頒布会と呼んでいるようである。コミックマーケットにおいても基本的に「頒布」という言葉が使われている。同人誌業界での「頒布」という用語の使用には歴史的な事情があるようであるが、「頒布」が難しすぎるのであればここまで広く使われないのだから、少なくともこの用語は一般の人々に受けいれられていると考えて良いだろう。

日本の著作権法で定める「頒布権」と混同するし、貸与の意味がある:

日本国の著作権法では「頒布権」という権利が定められている。ややこしいことにこの権利は映画著作物に限定されている権利である。映画館での上映フィルムを配給元から制御するための権利を何故か本邦では頒布権という名称にしたのであるが、オープンソース・ライセンスは著作権に依存しているので、この映画の頒布権との区別するために頒布という言葉を使ってはならないという主張があるわけである。

正直ここまでくると言いがかりに過ぎないのだが、著作権法第二条一項十九号において「頒布」という言葉の意味が「有償であるか又は無償であるかを問わず、複製物を公衆に譲渡し、又は貸与すること」と先に定義されていることをその主張は忘れている。頒布は著作物を広く公衆に譲渡もしくは貸与することと定められているのであれば、すなわちこれはオープンソース・ライセンスにおけるdistributeの意味として完全に正しいだろう。このように明確に定義され、意味としても合致する言葉の使用を否定する理由にはならないだろう。

ここまできてもさらに「オープンソースを貸与するという行為は通常ないので頒布は正しくない」という空虚な主張も過去にあったらしい。このような主張はかつてソフトウェアがテープ、MO、フロッピー等のデバイスに固定化され、回覧されていた歴史を忘れているのだろう。また、最近であれば、クラウドのサービスはその形態によってソフトウェアの貸与があり得るだろう。つまり、ソフトウェアは貸与できるし、オープンソースも然りである。オープンソースのライセンスであれば、複製、翻案、頒布の自由が許諾されているわけだが、この許諾された権利の中に暗黙的に貸与という利用行為への許諾も含まれていると考えて良いのである。

結論として、オープンソース・ライセンスが絡みそうな文脈ではdistributeは極力「頒布」と訳すことを勧める。「配布」の場合はどうしても無償に偏ることになり、有償のケースを除外しかねない。かつて自由ソフトウェアの陣営が、Freeは無償を意味するという誤解を中々払拭できなかった歴史を認識すべきだろう。

出自:
本稿は、2023年3月3日に佐渡によって書かれた「「配布」と「頒布」の違い」を一部修正した文書である。