オープンソースと自由ソフトウェアの違い

オープンソースという用語は自由ソフトウェア(Free Software)という用語を置き換えるために作られたのは周知の事実である。それならば、両者の意味する所は全く同じであるはずであるが、歴史的経緯により両者には別々にその言葉の定義が存在する。それぞれの用語を代表する組織であるFree Software Foundation(FSF)とOpen Source Initiative(OSI)は各々の定義の維持に心血を注いでいるが、実際の所、この両者の違いというものは存在するのだろうか?

(本稿は「オープンソースとは何か? Open Source Definition逐条解説書」の付録の一つとして収録されている文書である。)

四つの基本的な自由

  • どんな目的に対しても、プログラムを望むままに実行する自由 (第零の自由)
  • プログラムがどのように動作しているか研究し、必要に応じて改造する自由 (第一の自由)。ソースコードへのアクセスは、この前提条件となります。
  • ほかの人を助けられるよう、コピーを再配布する自由 (第二の自由)
  • 改変した版を他に配布する自由 (第三の自由)。これにより、変更がコミュニティ全体にとって利益となる機会を提供できます。ソースコードへのアクセスは、この前提条件となります。

FSFでは自由ソフトウェアであるための条件として上記の「Four Freedoms」(4つの自由)を定義している。第一から第三までの自由が1999年まで使用された自由ソフトウェアの定義とほぼ同一内容を指す条文であるが、ここでは著作権的な考え方としては複製権、翻案権、二次的著作物作成権、頒布権に関して無制限の許諾を意味すると考えられる。

特殊であるのは「第零の自由」(Freedom 0)である。この条項はオープンソースの定義が誕生後に追加されたのであるが、入手したソフトウェアの実行という著作物の使用行為の自由を定義している。第一から第三までの自由は権利者の著作権による独占権に依拠しているが、第零の自由は著作権としては基本的に自由に使用できる領域に自由を定めているのである。プロプライエタリなソフトウェア業界では実行行為に対しても契約で制限を加えることが長く慣行として根付いているので、この使用行為に自由を定義することは不自然ではないのだが、複製、翻案、頒布といった利用行為に自由が定められているのであれば定義としてはそれで十分であるように一見考えられる。ただ、FSFではこの第零の自由を「どんな人間や組織でも、あらゆるコンピュータシステム上で、どんな種類の仕事と目的のためにでも、開発者や特定の団体と連絡する必要なく、プログラムを使うことができるという自由」と説明しており、非常に幅広い意味を持つ条項として位置付けている。

オープンソースの定義との比較

オープンソースの定義は十箇条で構成されるが、それぞれの条項は下記のように区分することができる。

第一条から第三条 – 著作権における各支分権の利用許諾に焦点:

  • 第一条 (自由な再頒布):無制限で自由な再頒布を規定
  • 第二条 (ソースコード入手性):ソースコードへ容易にアクセスできることを規定
  • 第三条 (改変と派生著作物作成):自由な改変と派生著作物の作成の保証と同一ライセンスでの頒布の許可を規定

第四条以降 – 技術面を含むより広範な原則を明確化:

  • 第四条 (ソースコードの完全性):元のソースコードの完全性を維持する作者の権利と改変の自由とのバランスを取る
  • 第五条から第十条:個人やグループ、あるいは用途等のおいて差別がなく、技術的に中立で何ら制限もない広範な原則を明確化

これを前述のFSFの四つの自由と比較すると、基本的にオープンソースの定義の第一条から第三条までは四つの自由の論理の組み立て方は異なるものの著作権的なコンテキストでは複製権、翻案権、二次的著作物作成権、頒布権に関して無制限の許諾を意味すると考えて問題ないだろう。すなわち、四つの自由における第一から第三までの自由と同一の内容を規定していると考えて良いと考えられる。なお、第四条に関しては第三条までの内容を補完するものであるが、これも第三までの自由に含まれると考えられる。

そして、オープンソースの定義の第五条から第十条までの内容に関しては、特に実行行為(使用行為)に絞っているわけではないのだが、第五条や第六条での個人や組織あるいは利用目的での差別の禁止に顕著な同一性があるように、ほぼ四つの自由における第零の自由に該当するものと考えて良いだろう。実際の所、自由なライセンスを判別するための審査基準として考えるとオープンソースの定義とFSFの四つの自由は特に差異はなく、結果としては同じような判定になる。

両者の差異

オープンソースの定義と四つの自由には厳密に検証すれば差異がある可能性はあるが、多くのオープンソース関係者は実務上は差異がないと考えている。細かな差異があるとすれば、下記のようなものだろう。

ライセンス判定基準としての違い:

オープンソースの黎明期においてライセンス判定上において自由ソフトウェアと最も大きな差異とみなされていたのはPerlのライセンスであったArtistic License 1.0だと考えられる。OSIはArtistic License 1.0をオープンソースとして設立当初から認めていたが、FSFは「あまりにも曖昧過ぎる。いくつかの文章はそれらに期待される目的には手が込みすぎ、意味は不明瞭」という理由で自由ソフトウェアのライセンスとして認めていない。これはFSFが厳格過ぎるというわけではなく、ごく初期のOSIには厳格なライセンス審査のプロセスが存在せず、オープンソースを全く新しい概念の運動として扱おうとする一部の者の恣意的な判断が介入する余地があったからだと佐渡は考えている。

ごく初期のOSIは少数のオープンソースの偉人らによる極めて小さな組織でしかなかったが、現在のOSIはより開かれた中立的組織に変貌しており、ライセンス承認のプロセスには開発コミュニティだけでなく世界中の法曹関係者もボランティアで関与するようになっている。ライセンスには法的な明確性、一貫性が求められるようになっており、Artistic License 1.0のようなライセンスが提出された場合、問題なく承認されるということはないだろうし、最低でも明確化のための条文修正が求められるのではないかと推測される。

現在のOSIのライセンス承認プロセスにおいてはFSFの自由ソフトウェアの判定と差異が出ることは基本的にはないと考えられるが、逆にOSIによるオープンソースの判定の方が厳密になっている領域もある。特許に関する条項やパブリックドメイン等である。

基本的にオープンソースのライセンスは著作権の許諾であるが、特許条項が存在するライセンスもある。著作権で許諾されている利用が特許権で妨げられるのであれば本末転倒なわけであるので特許権の許諾をついでに行うことは望ましいわけであるが、逆に特許権を許諾しないとライセンスに書かれていた場合にどうなるだろうか?これはCreative CommonsのCC0 1.0のOSIによる審査で問題となった事例であるのだが、CC0では特許権が「許諾されず、その他の影響を受けることもない」とわざわざ書かれているのである。OSIの承認プロセスにおける議論では、このような条項はソフトウェア特許に対するユーザーの防御を弱める可能性があるとの意見が出され、それに同調する意見が一定数存在したことから承認という結論は出せなかった。一方、FSFにおいては特許条項において懸念を示し、ソフトウェアに使用することを推奨してはいないものの自由ソフトウェアのライセンスとして承認している。

パブリックドメインについては、OSIは概ねそれに該当するソフトウェアを実務上はオープンソースの範疇として捉えているように考えられるものの、パブリックドメインとは著作権が存在しないことであるわけなので著作権ライセンスというのが存在することはなく、また法域による解釈の差異があることからパブリックドメイン化することは推奨していない。基本的にはオープンソースと明確に区別していると考えて良いだろう。一方、FSFはパブリックドメインには著作権がないのであるからライセンスは必要とせず、パーミッシブなライセンスと基本的に同じとみなせるという立場を取り、自由ソフトウェアの一部であるとの認識を示している。

哲学の違い:

オープンソースの定義と四つの自由に関して、ライセンス基準としての差異はないもののその解釈の違いによって前述のような差異が発生すると考えられるが、このような解釈差が生まれるのは両者の哲学の違いであるように考えられる。

オープンソースの定義はDebianという主にLinuxディストリビューションを開発するプロジェクトが起源にあるが、様々なライセンスが付与された多くのソフトウェアが漫然と同居するような状況において機能するということが念頭に置かれている。それによって、ソフトウェアの頒布と開発サイクルの法的および実用的側面に主な焦点を当てており、そのことからビジネスフレンドリーな概念としてみなされている。

一方、FSFの四つの自由は、ソフトウェアの自由という哲学的および倫理的側面に重点を置いており、基本的な倫理原則としてユーザーが享受する自由を強調していることから、よりイデオロギーに基づいた概念として見られるのだろう。これはオープンソースの定義の条文があくまで「ライセンスはこのように定義しなければならない」という権利者たる開発者に向けた条文という体裁であるのに対し、四つの自由は頒布を受けたソフトウェアに含まれるべき自由を唱えているという主語の違いからも認識できるだろう。


OSIによるオープンソースの定義とFSFによる四つの自由はどちらも基本的には同じカテゴリのソフトウェアをそれぞれにオープンソースもしくは自由ソフトウェアであると定義していると考えて良い。わずかな解釈の差異や依拠する哲学や倫理に差異はあり、それぞれを支持する勢力はその哲学から支持していることから呼称についても含めて正しく両者の違いは区別されるべきである。ただ、両者はソフトウェアの自由に対処するアプローチは異なるものの、どちらも結局は自由でオープンなソフトウェアを推進しているということは多くの人々が認識すべきことだろう。