オープンソースにおける無保証と免責の条項

オープンソースの定義にはオープンソースであるライセンスで定めるべき条件もしくは定めてはいけない条件が記述されているが、オープンソース・ライセンスと呼ばれるものに必ずのように含まれる条項も存在する。いわゆる無保証と免責の条項である。本稿では、この無保証と免責の条項について雑多に解説する。

(本稿は「オープンソースとは何か? Open Source Definition逐条解説書」の付録の一つとして収録されている文書である。)

免責の必要性

オープンソースのライセンスで記述されている内容は大別すると、著作権表記、許諾内容と条件、無保証と免責の条項となる。著作権表記はライセンスが効力を発揮する前提となる著作権者の証明であり、続く許諾の内容と条件においてオープンソースの定義を完全に遵守する内容を記述していけば基本的にはオープンソースのライセンスとして効力を持つことになる。ということで、無保証と免責の条項はオープンソースであるための必須条件ではないのであるが、このような条項が含まれていることは、歴史的、法的および実務的な理由によって重要な意味を持つ。

歴史的にオープンソースのソフトウェアは営利組織ではなく、個人もしくは非営利組織を主体とするコミュニティの主導によって開発されてきたが、このような営利組織による支援がないということは保証の責任を負う組織が存在しないことを意味している。つまり、オープンソースへの貢献者の多くは保証請求といった法的リスクを負う余裕のないグループの一員であり、免責条項は貢献者を潜在的な責任から保護することになる。

もう少し詳細に書けば、開発者はソフトウェアによって引き起こされた欠陥や損害に対して法的責任を負う可能性があり、使用者は損害が発生した場合に訴訟する権利を持つ。特に個人の貢献者や小規模な組織にとっては経済的に打撃を受ける可能性があるわけであり、このような保証と責任を制限することで法的な影響を恐れることなく、より多くの人々がオープンソースのプロジェクトに貢献することを可能にするのである。

また、一般的にオープンソースによる開発は多くの人々が協働して進化することを目指しているが、このようなスタイルの開発手法を考慮すると、そもそも特定の使用者による特定の目的に対してソフトウェアの適合性を保証することは非現実的であるとも言える。

よって、オープンソースのライセンスにおける無保証条項および免責条項は、開発者を法的リスクから保護し、オープンソースのプロジェクトへの広範な参加を促し、オープンソース開発の協働的な性質を維持するために不可欠な要素なのである。

無保証と免責の歴史

免責条項の解説としてはこれで終わりなのだが、さて、このような条項はいつ頃から存在していたのだろうか?ソフトウェア著作権が認められる以前から商用の計算機の世界でこのような条項を含む契約が存在していたと思われるが、オープンソースのライセンスとしては最初期のライセンスであるMITライセンスの初出とされているライセンスにもそれらしき条文が存在する。

M.I.T. makes no representations about the suitability of this software for any purpose.
It is provided “as is” without express or implied warranty.
(MITは、本ソフトウェアがいかなる目的にも適していることを表明するものではありません。
本ソフトウェアは、明示または黙示の保証なしに「現状のまま」提供されます。)

上記は1984年にMITのコンピューターサイエンス研究所において開発されたIBM PC用のTCP/IPスタックを頒布する際に付与された著作権ライセンスの最後の免責条項の部分の抜粋である。短い二つのセンテンスだけであるが、明確に無保証であることを表明していることが分かる。当時は米国でソフトウェアに著作権が認められることが確定した頃であるが、著作権のライセンス料を徴収しても大した金額にならないという判断から一方的な許諾(ライセンス)とされたという経緯がある。つまり、自由に使っていいが保証はしない、ということであり、現代の協働的な発想とは直接的に結びつかないわけであるが、現在のライセンスで一般的な”as is”はここに源流がある。

GNU Emacs is distributed in the hope that it will be useful, but without any warranty. No author or distributor accepts responsibility to anyone for the consequences of using it or for whether it serves any particular purpose or works at all, unless he says so in writing.
(GNU Emacsは有用であることを期待して頒布されていますが、いかなる保証もありません。GNU Emacsの作者も頒布者も、使用した結果について、あるいは特定の目的を果たすかどうか、あるいは全く機能しないかどうかについて、文書でそう述べない限り誰に対しても責任を負いません。)

GNU Emacs copying permission notice(1985)

翌年の1985年、Richard StallmanがGNU Emacsの頒布のために付与したGNU Emacs copying permission notice(GNU Emacs複製許可通知)にも同様の条項が存在する。このGNU Emacsに付与された通知こそが1989年のGNU GPL version 1に繋がるライセンスであるが、”as is”は存在しないもののMITの初期型よりも明確に無保証と免責が述べられていることが分かる。

1989年に発表されたGNU GPL version 1においてはほぼ現代の一般的なオープンソースのライセンスに見られるような冗長な免責条項となっている。このGPL version 1もそうなのだが、このあたりからの特徴として免責条項が基本的に大文字で表記されるようになったと考えられる。この特徴的な大文字表記には実はそれなりの意味がある。

米国においては民法および商法は州毎に異なるが、それでは州を越える取引に不都合が発生するということで民間の組織によって合衆国内での統一的な法典が作成された。それが統一商事法典(UCC:Uniform Commercial Code)であり、民間組織作成の法典なのでそれ自身は法的効力を持たないものの、全米のほとんどの州がこの法典の内容をそのまま州法として採用しているために事実上の法として機能している。

何の関係があるのだと思われるかもしれないが、この統一商事法典にて商取引の契約では売主側が免責されると規定するためには目立つように記載しなければならないと定められているのである。単に目立つようにと規定されているので太文字や下線でも構わないような気もするのだが、タイプライターの時代からずっと大文字の慣行となっている。

なお、統一商事法典では契約書で目立たないように免責規定を書いた場合、あるいはそもそも免責を明言して規定しなかった場合は、売主は買主に対して黙示的に保証したことになると定められている。つまり、オープンソースのライセンスの無保証と免責条項にて大文字で表現されていなかった場合、それらの条項は無効と主張することも可能であり、黙示的にソフトウェア製品の商品適格性(品質、性能を備え商品として用途に適合しているか)や特定目的適合性(買主の目的に適合しているか)等の保証をしていると理解される余地を残すのである。

ただし、オープンソースのライセンスは著作権の利用許諾であり、商取引の契約ではない。しかしながら、厳密に既存の法との適合性を持たせるように努力した結果、このような大文字の条文となったのだろう。