上記のようなツイートを見かけた。
特に変わった内容ではないと思われる方も多いと思うが、私にとっては実に興味深い視点で書かれていると感じた。一つはこの方がオープンソースのソースはソースコードのソースであると言っている点。もう一つはオープンソースはソフトウェア(ソースコード)を指し示す用語であると暗に言っている点である。
なるほど。
確かにソースコードをオープンな状態にするという意味合いからの用語であると考えれば、オープンという言葉の捉え方にも依るものの我々が思うところのオープンソースと何となく一致するように思える。そして、オープンなソースコードなのだから、その用語はソフトウェアのことを指し、ソフトウェア以外への使用例に違和感と感じるということなのだろう。
実は私個人としては初めて見かける解釈だったので実に新鮮で微笑ましく感じ、正直それでいいと思うところもあるのだが、オープンソース(Open Source)という用語が誕生した歴史的経緯を照らし合わせれば、この解釈は少々ズレていると言わざるを得ない。以前に書き残した「オープンソースの誕生」でも触れているように、オープンソースという言葉はフリーソフトウェアという用語を置き換えるために会議室で作られた造語であり、その定義もDebianフリーソフトウェアガイドラインから拝借されたものである。また、その用語が作られたのと同時に商標として登録することも実行され、それを管理する組織としてOpen Source Initiativeも立ち上げられた。このような経緯から考えれば、オープンソースという語は、厳密には差異があるものの、そのまま自由ソフトウェアの方のフリーソフトウェアを意味すると考えるべきであり、オープンソース(Open Source)という英単語が連続した語でソフトウェアの状態を指し示すと考える方が自然だろう。
ということで、オープンソースの「ソース」はソースコードのソースではないのだが、前述の解釈であればオープンソースという用語はソフトウェアに限定されることになる。つまり、オープンソースという語をソフトウェアに限定している件のツイートは結果的に正しいことを書いていると言える。
ただ、世間には既にオープンソースハードウェア、オープンソースジャーナリズム等の「オープンソース何とか」が数多く存在していることを鑑みると、ソフトウェアであるのにハードウェア?のような感覚に陥ってしまうし、そもそもオープンソースソフトウェア(Open Source Software, OSS)という用例が存在するのは何故?という疑問も出てくる。
これに関しては、よく考えないで勢いで作った言葉がたまたま時流に乗って広まり過ぎたのでしょうがない。
オープンソースという用語を定めた人達はLinuxとフリーソフトウェアコミュニティに属していた人達である。当時はドットコムバブルの真っ盛りでコミュニティには産業界からの圧力が常にかかり、非常にふわふわとした時代だったと今になって思う。この頃よく言われたことは「Linuxは素晴らしい!しかし、残念だがフリーソフトウェアである」といったもので、とにかくフリー(無料)のイメージを消すことに当時のオープンソース系ベンチャーは躍起になっていた。こうした状況下においてオープンソースという代替用語は熱狂的に迎えられたのだが、元々フリーソフトウェアのことしか考えていなかったので、他の分野のオープンな事象を考えることはさほどはなかったのだろう。
定義はDebianフリーソフトウェアガイドラインから借り、当時認証したライセンスは全てソフトウェア向けライセンスだったので、当然ソフトウェアしかオープンソースという新語には合致しないわけだが、オープンソースという言葉がブームになったことでドキュメント、フォントといった一般的なプログラミング言語で記述されたソースコードを伴わない分野においてもオープンソース的な考え方が広まるにつれ、それらもなし崩しにオープンソースを冠するようになっていった。
同じように1999年にはオープンソースという用語を広めるにあたって重要な役割を果たしていたSlashdot.org自身がユーザー参加型の自由なジャーナリズムということでオープンソースジャーナリズムと評されるようになり、以降類似のユーザー参加型のサイトにはその呼称が定着することになった。
また、ソフトウェアだけでなくハードウェアの分野においても、オープンソース以前となる1997年にはオープンソースの定義の作者であるBruce Perens自身がオープンハードウェアという概念を提唱しており、数年間は日の目を見なかったものの、2005年頃には幾つかの企業がオープンなハードウェアへのチャレンジを開始し、2010年にはオープンソースハードウェアの定義が作成されるまでになっている。
これらの「オープンソース何とか」の用例がどんどん増殖していくことで、いつの間にかオープンソースという言葉に対してソフトウェアだけの意味だけでなくオープンもしくは自由なコンテンツやコラボレーションを含有するように理解が広まっていったのだと私は理解しているが、この流れにおいて明示的にソフトウェアだけを指し示したい場合に使う用語としてオープンソースソフトウェア(Open Source Software)という用例も増えていったのだろうと考える。
このことに関して私個人としてはオープンかつ自由が担保できればどっちでもいいんじゃないの的に考えているが、このオープンかつ自由ということをカバーできていないオープンソース何とかが出現することもあるし、またそもそもオープンソース運動は自由を広めることを標榜してきた運動なのにちっとも自由ではないオープンソースが出現することもある。今までにそうしたフェイクオープンソースが広まったことはないと考えているが、将来においても我々が自由を失うことのないように、オープンソースの第一の意味は、誰がどのような目的でも自由に実行、コピー、研究、変更、頒布できる権利があるソフトウェアであるということを多くの人に留意してもらいたいと私は願っている。
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