さて、ついに退職エントリだ。私は米国のオープンソース・ムーブメントを日本で再現するためのコアを作るために民間企業へやってきたはずだった。それから21年、随分と長い航海になってしまったが、結局様々な尻拭いを続けてきたという感慨ばかりが起きてくる。一つの歴史として書き残すいいタイミングなのでその苦闘を振り返っておこう。
いわゆるガラパゴス化という言葉の起源
ガラパゴスとは、言わずと知れた東太平洋上の赤道下にあるエクアドル領の島々のことだが、日本においてはもう一つ意味がある。IT界隈を中心にいわゆるガラパゴス化と呼ばれる日本で独自進化を起こすサービスやプロダクトが発生する現象や状態を指す言葉のことであり、先進的な進化という良い面もあれば独自進化が行き過ぎて取り残されるという悪い面もあるというこの用例におけるガラパゴスの起源はおそらく私にある。過去に若干は起源についてTwitterでつぶやいたことはあるが、故あってあまりおおっぴらには語ってこなかったのでその歴史が曖昧なままになっているようだ。
このまま放置しておくほうが良い気もするのだが、歴史に空白を残しておくのは少々気が引ける。時期的にもいろいろと迷惑をかけなくなっているだろうし、ここで供養を兼ねてその歴史を残しておこうと思う。
ガラパゴスの黎明期
スマートフォンといわゆるガラケーが並立していた頃から比べるとガラパゴスという言葉の利用は少しは減っているとは思うが、それでもSNSを検索すれば毎日様々な属性の人々がごく普通にガラパゴスという言葉を使っていることが分かる。もう完全に一般的な日本語として定着しているのだろう。そのガラパゴスの意味はWikipediaによると下記のようになるらしい。
「ガラパゴス化(ガラパゴスか)とは、日本のビジネス用語のひとつで、孤立した環境(日本市場)で製品やサービスの最適化が著しく進行すると、外部(外国)の製品との互換性を失い孤立して取り残されるだけでなく、適応性(汎用性)と生存能力(低価格)の高い製品や技術が外部から導入されると、最終的に淘汰される危険に陥るという、進化論におけるガラパゴス諸島の生態系になぞらえた警句である。」(Wikipedia, ガラパゴス化)
実に高尚な意味があるようだ…。少なくとも私はここまでの高尚な定義をしたことはないが、言葉が一般化する時にはこのような後付けが起きるものなのだろう。
私が自身でガラパゴス諸島の意味ではないガラパゴスを使い始めたのはおそらく2004年の頭のあたりだと思われる。はっきりとは分からないが、ちょうどこの頃のIRCログから下記のような使い方をしていることが分かる。なお、Kazekiriとは私のことで、相手はオープンソースの定義やGPLの日本語訳で有名な八田真行さんである。
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<mhatta> 英語て
<mhatta> やはり高い参入障壁なのかな
<mhatta> > オソ
<mhatta> 理系はふつう英語は読めるように
<mhatta> なってるはずなんだが
>Kazekiri< 英語 == 南米とガラパゴスの間の海
>Kazekiri< じゃないのか
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このやり取りから分かるのは、大陸から隔絶された地であるガラパゴス諸島から単に相互の参入のための分厚い壁のことを形容しているということである。隔絶されていることによる独自進化という部分はあまり意識していなかったのではないかと思う。会話相手である八田さんは、坂本龍一さんの「東京は世界の名古屋」というフレーズを割と好んで使っていた記憶があるが、独自進化的な意味だと当時は私もむしろそっちのほうが頭にあったかもしれない。ともかく、分厚い障壁やその状態に置かれている様を表現する言葉として使っていたようだ。
なお、当時はまだガラパゴスという言葉を使っていたのは私の周辺では私一人だけだったようだ。主にDebianやVineなどのLinuxとオープンソース関係者が集まるIRCチャネルぐらいでしか使ってないし、それらのIRCチャネルには携帯電話業界の企業の役職持ちの人間もいたが、佐渡が奇天烈な形容詞を使っているぐらいにしか思ってなかったと思われる。
ガラパゴスの巣立
私一人だけが特定のIRCチャネルでしか使っていなかったガラパゴスであるが、内輪の隠語のようなものにしておけばいいものを当時は若かったのだろうか。2004年6月9日、赤坂プリンスホテルで開催したVA Linux Business Forum 2004にて、私はガラパゴスという言葉を公の場で初めて使用した。
当日イベントの最後の講演… というより最後の締めの挨拶ではあるが25分と長めに取られた枠にてガラパゴスは発声された。実は当日使用したスライド資料は残っていないのだが、MagicPoint形式のファイルの一部をコピペしたと思われるデータがIRCのログとして残っていたのでそれを下記に示しておく。
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>Kazekiri< OSSガラパゴス諸島 - ニッポン
>Kazekiri< 英語という大海で断絶された地、ニッポン
>Kazekiri< 貧弱な開発力
>Kazekiri< パッチ投げっぱなし症候群
>Kazekiri< 使う人はたくさんいるが、作る人がいない
>Kazekiri< 世界第二位のオープンソース利用大国
>Kazekiri< ユーザ会は多いが、開発グループとの関係は希薄
>Kazekiri< フェイクの氾濫
>Kazekiri< オープンソースでコストを下げたいだけ?
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「OSSガラパゴス諸島 – ニッポン」がスライドのタイトルであり、これが私が公にガラパゴスと連呼した初出である。スライドには当時も今もちょっと辛辣過ぎる言葉が並んでおり言葉の選び方の悪さには愕然とするばかりなのだが、この前後のスライドはIRCログにも残っていないので完全には何を話していたのかは分からない。ただ、そもそもイベント全体のプログラムを私が作っているので、全体の流れから記憶を手繰り寄せるとおそらくこのようなことを話したと思われる。
「ドットコムバブルの崩壊でVA Linuxもオープンソース業界も酷い目に遭いましたけども、昨年の2003年にはRed Hatも黒字化し、オープンソース企業への投資も回復したことでビジネス環境は整ってきています。我が国を目を移しても、本日の講演からもわかるようにオープンソースの利用は拡大しており、エンタープライズ市場を含めて期待が高まっていると思います。この流れに合わせて経済産業省もオープンソース振興を打ち出してくれているのは我々にとって素晴らしい流れであります。
その一方、英語という大きな障壁があるからか、日本特有の問題も出てきているとも思います。SourceForge等の統計からは日本はオープンソースのダウンロード数では多くがアメリカに次ぐ二位の国であり、オープンソース利用大国であるようです。それを示すように日本には多くのオープンソースのユーザー会が存在し、そのコミュニティが普及を促進しています。ただ、無料のオープンソースの利用についてばかり目がいき、使う人はたくさんいるがそれと比較して作る人が少なく、上位の開発者グループとの関係は希薄に見えます。開発者の数が少ない上にコミュニケーション下手なのかパッチの投げ方の作法も分からずに受け取った開発者が困惑してしまうというケースもあるようです。また、本来のオープンソースではない何かを今のブームに乗じてオープンソースとして売り込むフェイクも氾濫しており、由々しき問題であります。
南米エクアドルの沖にダーウィンが進化論の着想を得たガラパゴスという島々がありますが、英語という大海で断絶された日本はガラパゴスと同じようにオープンソースが進化とも退化とも言える独自の変化を起こしており世界の潮流から取り残される、まさにOSSガラパゴス諸島と言えるでしょう。
ガラパゴスのような独自進化には良し悪しはありますが、日本のオープンソース市場を拡大し、世界をリードしていくためには、必然として日本で閉じることなくグローバルに出て行くことが重要であることは間違いなく、VA Linux Systems Japan社とOSDNはそのために邁進する所存….」
前後の話が実際にはもっと眠くなるような話をしてたような気がするが、ガラパゴスの筋としてはこんなところだったのだろう。ここまでエスパーして書いて思ったのだが、現在ではオープンソース・プログラム・オフィスについて書いた記事でも出てくるオープンソース・エコシステムやアップストリーム・ファーストといったフレーズで簡単に説明できる内容であると思う。エコシステム(生態系)という言葉はガラパゴスに通じるところがあり、「多様な軸で構成されるオープンソースのエコシステムを安定かつ健全に発展させていきましょう!」と言えば済む話だったわけだ。何というか、当時は若く無鉄砲だったのだろう。
ともかく、ここが私からのガラパゴスの初出であり、そのフレーズが刺さったのか、この日からはLinux/オープンソース界隈でそのフレーズを使う者も出てきた。ただ、私のこの講演は、イベントへ取材しに来ていたITmedia、CNet、日経BPらのメディアが出した記事には触れられなかったので、この時点ではまだオープンソース界隈の一部の内輪ネタに近い言葉として留まっていたのだと思う。
ガラパゴスの拡散
VA Linux Business Forumでの講演ではオープンソース界隈のほぼ内輪からのフィードバックに限られていたが、私個人としてはその反応からはガラパゴスという表現に手応えを感じていたのだろう。ガラパゴスという独自の生態系を連想させる言葉は様々な視点からの問題を包括的に扱うのに都合が良いと思っていたように記憶している。
ここへ次のイベントの機会がやってきた。2004年11月30日にパシフィコ横浜で開催されたOpen Source Way 2004である。Open Source Wayはライセンスや特許等の法的な問題やオープンソースの経済圏、経営との関わり等のトピックを扱うカンファレンスであり、2002年から私と八田真行さんで企画し、プログラムを作成していた。2004年は日本OSS推進フォーラムが設立されて産官連携や日中韓連携といった流れもあり、全体的にオープンソース振興というものが一服感が漂いつつあった頃で全体的には前向きなトピックが多く、私としては何かピリッとくるネタを入れておきたかったのだと思う。
生憎と適当な講演者も見当たらず自分で喋ることに決め、数ヶ月前のVA Linux Business Forumで使ったネタをそのまま拡張し、一つ一つの事例もより掘り下げるように話したように思う。これでオープンソース・ガラパゴス諸島の再演となったわけだが、この模様はITmediaの記事になっているので見聞きしたことのある人も多いだろう。私としてはもう少しマイルドな語りだった気がするのだが、大筋としてはこれで合っているかと思う。今読むとやはりエコシステムとアップストリーム・ファーストで説明できる話しかしてないような気がするので頭が痛いのだが。
日本におけるOSSの幻想――OSS界のガラパゴス諸島、ニッポン (ITmedia)
無事にOpen Source Wayは終わったのだが、このITmediaの記事が問題だった。あまりにも反響が大きかったのだ。
当時はまだ炎上という表現は一般的ではないし、SNSとはせいぜいmixiという時期である。技術系の人々もまだtDiaryで頑張って意見表明し、スラドに記事が出ればそこでコメントしていた頃だったのだが、そのような時期にしては非常によく燃えたと言える状態だったのではなかろうか。RubyのMatzさんを含めいろいろな方の意見表明があったと記憶しているし、スラドでも400近いコメントが付く大きな議論になった。また、直接苦情と絶賛のメールが届くというあまりない経験もした。
否定的な方の多くの反応は「問題認識としては合っているがお前らは何もしていない」、「解決策を出さずに投げっぱなし」、「日本には日本でやることある」、「そもそも何様や」といった内容が多かったように思う。実にごもっともであり、恥じ入るばかりである。ただ、この反対に「よくぞ言ってくれた!」と絶賛の言葉をかけてくれる人も多かったように記憶している。これらの意見がぶつかり合い、多角的な論争がなされていったように思う。これは様々な場所において既に火種はあったということなのだろう。そこへ私がガラパゴスと一括りにしてしまったことで火を点けてしまい、泥沼的な大きな論争になってしまった。
表で見えるような論争はまだ意味があるものが多かったが、論争が大きくなるにつれITmediaの記事の露出はどんどん上がり、技術系ではない人々の目に触れるようになった。当時のVA Linux Systems Japan社は既に米VA Linux社の子会社ではなく住友商事の直轄子会社であり、大株主としてNTTデータ、NTTコムウェアが入っていたのだが、講演で事例として出した中にNTTの成果もあり、それをガラパゴスと揶揄したような形となっていたことが問題となった。結局、雲の上の人達の間の腹芸と寝技の応酬で丸く収まったようなのだが、私のほうはこちらの方にしばらく忙殺されることになる。
その中で思ったのはガラパゴスという地名やダーウィンの進化論の経緯を知らない人には単に後進の未開の地と同じだと決め付けられたように感じたということである。単にディスるだけなら同じ太平洋の島でも国家の失敗事例としてわかりやすいオープンソースのナウルとか、あるいは破滅に向かうイメージでガダルカナルを使うのではないかと思うところもあったのだが、ガラパゴスでそれと同等の侮辱だと感じる人達もいたようだ。私の語りが悪かったのだろうけども、ガラパゴス諸島には悪いことをしてしまったなと素直に思っていた。
さらにITmediaの記事が注目を集めたことで、ガラパゴスのGoogle検索の結果が数ヶ月ほどこのオープンソース・ガラパゴス記事関連でジャックされたこともマズいことになったと思わされた。それまではガラパゴスの検索結果は観光情報で占められていたのだと思うが、以降、日本ではいわゆるガラパゴス化が占めるようになってしまったのである。ガラパゴス専門のツアー会社があったとしたら涙目だっただろう。
これらのことで私自身はガラパゴスという表現を公の場で使うことをいったん封印した。これをある程度解禁するのはあまりにもガラパゴスとあちこちで使われだし、もはや日本語として定着してしまった数年後のことである。
ガラパゴスの増殖
私がガラパゴスで論争を引き起こして以降、しばらくすれば少なくともガラパゴスとは誰も言わなくなるのではないか?と私は思っていた。しかし、期待に反してオープンソースの世界でのガラパゴス論争は外の世界へ飛び火していくことになる。オープンソースだけでなく〇〇の製品、〇〇の業界もガラパゴスだよ!という言説が少しずつ広まっていった。
わざわざ私に知らせてくれる者がいたのでこれらは記憶にあるのだが、最初は一太郎やTRONだったと思う。これらの日本発のソフトウェアもガラパゴスではないかと言う言説が出てきて、そのうち日本のソフトウェア業界全体がガラパゴスのような論調もでてきた。こうなると、PC-9800シリーズを抱えていたPC業界にも焦点が行き、そこから実はハードウェアもガラパゴスということになっていった。そのうち日本のあらゆる製品、慣習、文化にもガラパゴス論が適用されていったように思う。これらは2005年から2008年頃にかけてゆっくりと進んだ。
これらの中でも携帯電話の当時の市場は、グローバルではノキア、モトローラ、エリクソンの牙城であり、日本勢は高機能端末で国内で独占しつつも海外では橋頭堡も築けていない状況だった。これをガラパゴスと言っていた人達もいたのだと思うが、その場合おそらく前向きとも悲観的意味合いも共にほぼなく、単に独自進化しているという意味合いだったのではないかと思う。世界的に見ても進化を続けていたPDA、あるいはBlackBerryなどと携帯電話の境目が曖昧になっており、必ずしも日本がガラパゴスと言えず、どの国、どの企業がガラパゴスなのか分からない状況だったように思うからだ。
この携帯電話市場が一般にガラパゴスと呼ばれ、国内勢の高機能端末がガラパゴスケータイ、つまりガラケーと呼ばれるようになったのはiPhone以降のスマートフォンの席巻があってからのことだろう。iPhone 3Gが日本で発売されたのが2008年7月であることを考えれば、それ以降に一般化したのだろう。この後、2010年頃にはガラパゴスという言葉はどこでも聞かれたように思う。その年にはシャープがガラパゴスというブランドでタブレットを発表しているくらいである。
ガラパゴスのまとめ
以上が私から見たガラパゴスの歴史である。正直に言って当時の私はガラパゴスという表現を使用したことは後悔していた。講演の内容が荒っぽいということもあったが、そもそも地名を使うことは弊害が大きかったと思っている。ただ、この用語があまりにも広まり過ぎたことでもはやどうでもよくなってもいる。Twitterでガラパゴス、ガラパゴス化とでも検索すれば流行語としてのブームが過ぎて完全に日本語として定着しているとしか思えない。私はオープンソースのためにこの25年ほどを捧げてきているのだが、私の配偶者ですらオープンソースは知らないがガラパゴスは知っているぐらいである。
ということで、このままだとガラパゴスの人で終わってしまうかもしれないので、オープンソースのためにまだ自分としてやれることをやっていこうと思う次第である。

オープンソース・プログラム・オフィスとは何か? (ぼくがかんがえた最強のOSPO)
GoogleやMicrosoftといったビッグテックにOpen Source Program Office (OSPOという略で界隈では通じる)という部署が存在することは日本でも知られているが、現在では多くのグローバルIT企業にも同名の部署が存在する。近年では中国系の企業での設置が目立つが、日本でもサイボウズ、メルカリといった企業には存在するようだ。
OSSという日本でしか通用しない三文字略語について
OSSとは… 20年前はOpen Sound Systemを意味する略語のことだった。少なくともLinuxコミュニティではそうだった。
Open Sound SystemはUNIX系のプラットフォームで利用できるサウンドシステム(ドライバ)であり、Linuxでは標準サウンドシステムであった。OSSと言えばこれを指しており、当時生まれたばかりのOpen Sourceという新語の略語としてOSSを使うということはほぼなかった。
オープンソースはソフトウェア限定の用語なのか?
上記のようなツイートを見かけた。
特に変わった内容ではないと思われる方も多いと思うが、私にとっては実に興味深い視点で書かれていると感じた。一つはこの方がオープンソースのソースはソースコードのソースであると言っている点。もう一つはオープンソースはソフトウェア(ソースコード)を指し示す用語であると暗に言っている点である。
LinkedInを利用する意義
LinkedInは世界最大のビジネス向けのSNSらしい。ただ、日本ではとりあえず登録したものの人材、不動産、マルチと謎のVIPやセレブからの怪しい勧誘がやってくるサイトという認識を持っている方のほうが多いのではないだろうか。転職に使えないことはないのかもしれないが、他の転職サイトや下手をするとTwitterのほうが日本では転職に使えるケースが多いだろう。
ドットコムバブルの終焉とVA Linux Systemsの崩壊
LinuxWorldの基調講演という場で華々しく発表されたAndover.netの買収はオープンソースコミュニティへは大きなインパクトを与えたが、市場の反応はその逆だった。ハードウェア事業とはかけ離れた事業に大きく投資する意味を当時では見出すことは難しいことは容易に想像できる。そのため、VA Linux社はまた即座に行動しなければなかった。
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1999年12月9日、VA Linux社は驚異的なIPOを成し遂げたが、直近四半期の売上は1,700万ドル、資産もほとんどがIPOで得た現金であり、1億5000万ドル程度の規模でしかなかった。 100億ドルに迫る時価総額をとうてい正当化しそうもないのは明らかであった。そのため、ある程度の調整が入ることは仕方がないとしても、このあまりにも高過ぎる評価を維持するために即座に行動を起こすことがVA Linux社の取締役会へ求められた。足下のハードウェア事業についてはさらに引き続き高い成長を見せていることは分かっていたが、今は手元に現金と驚異的な評価が付いた株式がある。必然的にこれを効率的に使用して企業買収を行い、VA Linux社の価値を高めなければならなかった。
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例によって一回脱線し、既に何度か言及している「Revolution OS」という映画について書いておく。
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LinuxOneの騒動でまだコミュニティがごたついていた1999年10月8日、とうとうVA Linux Systems社がIPOを申請した。Red Hatの後に何故か間に3社が挟まれ、それぞれ印象的な結果を残したが、市場はとうとう本命がやってきたと騒ぎ始めた。
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1999年、シリコンバレー周辺地域はバブルに浮かれていた。インターネットが少しずつ利用を広げる内にインターネットが世界を一変させるという過度な期待が先行するようになり、また当時の金融政策の影響もあって、利益の裏付けどころか製品およびサービスすら存在しないプレゼン一枚だけであってもネット関連というだけで莫大な資金調達が可能になり、黒字が全く見込まれなくても株式公開が行われるという状況になっていた。.comというドメインサフィックスからそれらのベンチャーはドットコム企業とも呼ばれていたが、このネットベンチャーに投下される資金による設備投資によってIT関連機器とサービスへの需要が爆発し、古参のシリコンバレー企業の株式も高騰していった。また、加熱するネット企業の起業により極度の人材不足が発生し、人材確保のためにおしゃれな社屋とオフィス家具、レクリエーション用の設備、無料の豪華ランチといったものが浸透し始め、また大量に流入する起業家、投資家、開発者、その他の人々によって周辺地域の経済を加熱させていた。
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昔々、VA Researchという会社がシリコンバレーにあった。この社名を知っている人は日本ではほとんど存在しないが、この会社はVA Linux Systemsと名を変え、その後に歴史的な株式公開を果たして上場会社となったことでわずかに記憶が残っている人達もいることだろう。さらにこの会社はVA Software、SourceForge、Geeknetと名称を変更し続け、2015年に最後まで残った事業がゲームビデオゲームの小売で最大手となるGameStop社に買収され、独立企業としての生涯を終えた。
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私が商標関連でかなりの個人資金を使ってまで悪戦苦闘していたのは、もう10年前のことだ。その当時の私の経験や世界的にいろいろ発生した商標関連の事件のおかげで、オープンソースコミュニティには対処スキルが蓄積されたと思っていたが、平穏な時代が長すぎたということだろうか。
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SILオープンフォントライセンスの日本語訳を公開しました。いつも通り、参考訳ということになります。
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