日本ではオープンソースライセンスをライセンス契約として見做すことが一般的な見解であり、これはEUでも同様である。しかし、オープンソースのあらゆる側面においての原点である米国では、オープンソースライセンスは契約ではなく「著作権の一方的な許諾」であると長らく見做されている。現在では幾つかの訴訟による判例を踏まえ、一方的な許諾だけでなく契約としての側面も併せ持つという考え方が米国でも主流になっているが、特に開発者コミュニティにおける実務上は従来の一方的な許諾としての側面をまず教えることが多い。これは、そもそものオープンソースの歴史的な成り立ちや著作権の仕組みを学習するためには許諾説を取るほうがよりシンプルで分かりやすいからとも言えるし、ライセンス違反等の状況にならない限りは実務上の大きな差異が生じないからでもあるのだろう。
ともかく、現時点ではやはり一方的な許諾としてのライセンスの概念というものはオープンソースへの理解に重要だと考えられるのだが、そもそもこの米国法特有のライセンスというものはどこからやってきたのだろうか?
English version: https://shujisado.org/2025/07/24/why-uslaw-sees-opensource-as-permission-not-a-contract/
ソフトウェア著作権の確立と自然発生したソフトウェアの一方的許諾の概念
米国発のこの「一方的な許諾」というライセンスの概念は、おそらく特定の誰かや組織が発明したという性質のものではないのだろう。米国連邦著作権法の構造、初期のコンピュータコミュニティの文化、そしてそれを追認した判例という三つの要素が絡み合って生まれたと自分は考えている。ある意味、極めて米国的と言える産物なのだろう。
連邦著作権法の「抜け穴」
全ての根源は、米国連邦著作権法の基本構造にある。同法第106条では、ソフトウェアの作者に複製、改変、頒布等に関する「排他的な権利」を与えることが規定されているが、これは「作者以外は許可なく何もしてはいけない」という状態がデフォルトであることを意味している。この排他的権利の利用の許可を与える伝統的な方法は「契約」であるが、英米法の契約には「申込みと承諾」や「対価」といった日本法等とは違った複雑な要件が伴う。しかし、ソフトウェア著作権が生まれた辺りの当時の開発者たちは、この法の構造の中に一種のハック可能な「抜け穴」を見出したわけである。
1976年米国著作権法では、権利の移転に関して下記のように「著作権の譲渡」とそうでないものを明確に区別している。
- 著作権の譲渡: 第101条の定義により、独占ライセンス等が含まれ、第204条(a)項により権利者の署名がある書面が必須
- 非独占ライセンス: 同条項において、著作権の「譲渡」には含まれないと明確に除外
この法律の条文を開発者的に都合よく解釈していくと、「譲渡ではない非独占ライセンスには書面は不要である」という結論が導き出される。つまり、著作権の非独占ライセンスは、口頭や当事者の行動から推測される「黙示」でも成立するという余地が生まれるわけである。これが契約という重い手続きを回避し、開発者が「この条件を遵守するのであればソフトウェアの自由な利用をして良い」と一方的に宣言することを可能にした極めて重要な法的根拠と言える。
ハッカー文化によるライセンス概念の自然発生
法が前節で説明したような構造を持っていたとしても、それを利用する文化がなければ意味がない。しかしながら、1960年代から70年代にかけてのMIT AIラボ等に代表される研究機関では、ソフトウェアは共有され、互いに改良し合うべき「知識」と見なされていた。これは私自身がその時代を経験しているわけではないが、リチャード・ストールマンの伝記やハッカー文化関連書籍等の様々な文書が当時の「ハッカー文化」というものを証明しているのだろう。
このハッカー文化における環境では、ソースコードの共有は当たり前であり、法的なものではなくコミュニティのルールやマナーというか村の掟に近い「ライセンス」の概念が機能していたのだろう。ソフトウェア著作権という存在が徐々に浸透していった1980年代前半にかけて、READMEファイルに書かれた「自由に使ってよい」「作者名は残せ」といった単なるお願いのメモが事実上のライセンスとして機能していたと考えられるが、それらは法的な拘束を意図したものではなく、「一方的な許諾」の精神そのものだったのだろう。
その実例として自分としては象徴的だと感じるのは、後にGNUを創始するリチャード・ストールマンが初期のEmacsエディタで用いた許諾通知である。彼は1985年には既にGNU Emacs複製許諾通知という後のGNU GPLへ思想的に繋がる再頒布の自由や改変の共有を推奨する考え方を示した文書を作成している。このような互恵的な共有の約束が著作権法の「抜け穴」を利用していく「一方的許諾」の思想的な土壌となったと考えられる。
MITライセンス等の登場による慣習の形式化
自然発生的に生まれた「一方的許諾」の慣習を、誰でも再利用の可能な法的文書として形式化したのはおそらく1984年のPC/IP頒布における原始のMITライセンスだったのだろう。
ソフトウェアが特定の研究室以外の世界へ広まり、またソフトウェア著作権が確立されていく中において、口頭での約束や単なるメモ書きでは「どこまで自由なのか」あるいは「責任問題はどうなるのか」といった点が曖昧であり、法的なトラブルの原因になりかねない。かといって、ライセンス契約のために弁護士を依頼し、単に共有したいと希望しているソフトウェアのために割に合わないコストをかけるわけにもいかない。MITライセンスは、この問題を解決するために、ハッカー文化の精神をそのまま法的テキストに落とし込んだと言える。
MITライセンスは、「誰でも無償で無制限に扱って良い。ただし、著作権表示とこの許諾条文は残すこと。適用法が許す限り作者は一切の責任を負わない。」と宣言しているものであるが、これは既に存在したコミュニティの暗黙の掟をそのまま法的な明確さを持ったテキストとして形式化した結果である。このようなシンプルな法的文書のテンプレートの登場により、あらゆる開発者が自分のソフトウェア作品を法的な安定性を保ちながら容易に共有することができるようになった。これを皮切りにBSDライセンスやGNU GPLが後に続き、「一方的許諾」の考え方と法的メカニズムはその後の多くのライセンスに受け継がれ、発展していったと言える。
判例による強化
この「連邦著作権法の抜け穴」と「ハッカー文化」から生まれた一方的許諾の慣習は、やがて法廷の場でその正当性が問われ、判例によって思想が強力に補強されていった。まず、Effects v. Cohen(1990年)のような判例を通じて、書面がなくても当事者の行動からライセンスの成立を認める「黙示のライセンス」という考え方が確立されたことが大きい。この判例は、行動が許可を生むという黙示のライセンスの基本原則を確立したリーディングケースであるが、これによって形式的な契約書がなくとも実態に即してライセンスの存在を認める道が大きく開かれ、「一方的許諾」の法的な実在性が裏付けられたと考えられている。
そして、決定的であったのが、Jacobsen v. Katzer(2008年) というオープンソースコンプライアンスの領域でのランドマーク的な判決であろう。
この裁判で連邦巡回区控訴裁判所は、オープンソースのライセンス違反は単なる契約違反ではなく、著作権侵害そのものであるとの判断を示した。ライセンスに書かれた義務は、ライセンスが有効であるための前提となる条件であり、それに反することは許可の範囲を超えた無断利用にあたると結論付けたのである。この判決により、「一方的許諾」の宣言は、連邦著作権法でその履行を強制できることが証明された。
なお、この訴訟はライセンスの一方的許諾説を決定付けただけでなく、契約説が高まりを見せることになった始点となる判決であるが、契約説については機会があればまだ書くことにする。
日本法との違い
日本においてはこの一方的な許諾という考え方は法解釈的には一般的ではない。その根本的な理由は、米国が採用するコモン・ローと日本やEUが採用する大陸法の設計思想の違いにある。前述した通り英米法では契約の成立に「対価」が重要な要素となるために、無償のライセンスを契約と見なすことに問題が生じかねないという考え方が発生するわけであるが、一方で日本が依拠する大陸法では「対価」は契約の必須要件ではない。当事者間に「この条件で使う」という意思の合意があれば、たとえ無償であろうが立派な「契約」が成立することになる。
そのため、日本の法曹関係者がオープンソースライセンスを見た際、わざわざ「一方的許諾」という特別な概念を持ち出すまでもなく、開発者と利用者の間の契約の一種であると、既存の民法の枠組みでスムーズに理解することが可能であったのだろう。
ただし、冒頭でも書いたように、開発者コミュニティの中ではやはり一方的な許諾としてライセンスを認識するほうが歴史的経緯を含めて理解しやすいこともあり、我々のような立場にいる人間は米国に合わせてオープンソースは著作権の許諾であるという言い方をすることが多いということも理解しておくと良いのだろう。
まとめ
米国の「一方的許諾」としてのライセンス概念は、著作権法の構造的な「抜け穴」、共有を掟とする「ハッカー文化」、そしてその慣習を法的に追認した「判例」という三位一体によって生まれたテクノロジーと法が相互作用した産物である。この柔軟な法的メカニズムは、MITライセンスのようなミニマムなものから、GNU GPLのような思想的に強力なものまで、多様なオープンソースライセンスを生み出す土台となったと言える。この歴史的背景を知ることは、日々利用されているオープンソースライセンスの条文一つ一つの背後にある深い意味を理解するための重要な鍵となる。

リンク
- 米国著作権法 日本語訳 : https://www.cric.or.jp/db/world/america.html
- The Origin of the “MIT License” : https://ieeexplore.ieee.org/document/9263265
- GNU Emacs copying permission notice : https://github.com/larsbrinkhoff/emacs-16.56/blob/master/etc/COPYING